ヒロシマの問題を解決するため、被爆国の日本政府は核兵器禁止条約を批准せよ

核兵器禁止条約が22日、発効した。

 

原爆開発のマンハッタン計画を推し進めた大きな存在であった物理学者レオ・シラードは、原爆開発の立役者ながら最後の最後まで丸腰状態の日本への原爆投下に反対した。

 

70年後の今日の核拡散時代を予見し、その出発点がヒロシマへの原爆投下にあったことを鋭く見抜いていた。日本に対する原爆の使用は、ソ連との原子力競争をスタートすることになるからで、日本を戦争からノックアウトするという短期的目標より、ソ連との軍拡競争の開始を避けることの方が重要ではないのかとアメリカ政府に警告をしていた。

 

ユダヤハンガリー人のシラードはナチスによる迫害を逃れて米国に渡り、核の連鎖反応を思いついたと云われており、同時期にイタリアから亡命したフェルミとともにウランが核分裂に伴う持続的連鎖反応に最適な物質であることを発見し、1942年最初に持続する連鎖反応を実現する原子炉を開発した。

 

だが戦争が続く中、シラードは自分の原爆開発が次第に自分の手を離れ米国の軍部の手に握られようになり、内心憤慨するとともにトルーマン大統領に戦争で原爆を使用させないようにという請願を試みたが、軍部に潰されてしまい、失敗した経緯がある。

 

米国軍部は戦争の終結を早めようと、二個しかない原爆を日本に投下して、さながら原爆の実験場に仕立てしまった。

 

戦後のシラードは、もし日本に原爆を投下せず、代わりに示威行為で止めていたとしたら、戦後の核兵器の世界から逃れることができたと言っている。戦後70年を経た世界が、核兵器を廃絶できない根本原因はヒロシマに対する原爆投下にある、と言っているわけだ。

つまりは、ヒロシマを解決しなければ、核兵器廃絶運動の出発点ができない、と言ってのだ。

 

心の呵責を強く感じたシラードは戦後、反核運動を積極的にリードするとともに、原子物理学を捨てて、平和的な分子生物学研究に専念した。原爆について思いをめぐらすとき、シラードの果した役割がいかに大きかったかを痛感せざるをえない。

 

今や、冷戦時代と違って核軍縮が進んでいるが、中国が中距離ミサイルを多数を保有する中、東アジアの安全保障環境が大きく変わってきた。中国も含めた軍備管理体制が必要だ。

 

核兵器禁止条約に背を向けている日本政府は、率先してヒロシマの問題を解決すべき立場であり、核軍縮にはずみを付けるように国際世論に政治的圧力を行使すべきだ。