「古い公共」より「新しい公共」を

NPOというと、日本では、善意と熱意に溢れる人たちが手弁当で集まって行う零細事業というイメージしかない。

NPO活動や市民活動団体を担う市民セクターは、小さな団体がほとんどで、むしろ個人やサークル活動に近く、非常に狭い活動範囲で行われている。大半のNPOは、常勤スタッフを全く抱えておらず、女性や高齢者が中心に行われている。また内向きの組織であるため、こうした市民セクターの閉鎖性を問う声もある。

一方、NPO先進国の米国では、大学、病院、教会、私立学校、美術館、保育園、市民活動団体やボランティア団体までが含まれており、100万を超えている。しかもこうしたNPOは、正規職員に給料を出しながら、さらにボランティアも雇用している巨大組織もある。

また寄付文化が根付いているため、政府の補助金をはじめ、大きな財団がNPOなどに資金援助するなど、市民活動が活発である。非営利部門を担うサードセクターの歳入は、国家予算に匹敵するほどである。市民セクターが活躍する公益市場があり、これがセーフティーネットになっていたからだ。米国のGDPの1割がここから生み出されている。

しかし寄付文化もなく、政府の補助金や大きな財団からの資金援助もない日本では、NPOが大きく活躍できるような土壌がない。個々のNPOの資金源が極めて脆弱であるため、自助努力だけでは限界がある。NPOが寄付金を独自で集めようとしても、寄付する法人や個人が税制上の優遇を受けられないため、寄付が集まらない。

そもそも、サードセクターのNPO活動は、何のために必要とされているのか。第一セクターの政府・行政とは、どう違うのであろうか。

政府・行政は、平等、公平、中立、均等を重視した政策を行うが、それだけでは多様化する地域市民のニーズに対応できない。そのため、地域の課題は地域で解決するという意識の高まりとともに、多様性、創造性、個性、先駆性の価値観のもとに行動する特定のNPO活動に対する社会の期待がある。つまり、政府セクターやサードセクターの互いの長所や機能を生かし、弱点を補完し合っていく必要がある。政府とNPOは、互いにパートナーとして協働する関係にある。

高齢化社会格差社会に広がる不安に立ち向かう「新しい公共」サービスの担い手として、NPOの役割が重要である。だからこそ、NPOの資金基盤の拡充に本格的に取り組む必要がある。

日本には、1500兆円の個人金融資産があるのだから、相続税贈与税の軽減、全額税控除の導入など大幅な寄付税制の拡充が可能なはずである。

しかし寄付税制の拡充に対して、財務省は「財政民主主義」という省益を盾に抵抗している。NPOに寄付したお金で、公共的な業務をNPOが進めることは、「財政民主主義」に反すると主張している。つまり、全部税金という形で一旦国庫に入れて、それを国会議員が分配するのが「財政民主主義」だという。

だが公の分野ですべての公務員が生産的な仕事しているとは、国民は誰しも思っていないし、それどころか、財務省は必要のない天下り団体に無駄な税金の垂れ流しを許しており、とっくに財政的に民主主義が崩れている。

むしろ寄付行為を通じて、国民が直接的に公を担う特定のNPO団体を支援した方がより民主的である。初めから使い道が明らかである寄付金の方が、何に使われるのか分からない税金よりも、公共の充実度が高いはずである。

官がやる「古い公共」には、利権がらみが多い。その官の補助金NPOは「古い公共」の下請けになっている。だから今、利権を超えて市民が支える「新しい公共」が、求められている。

新しい公共」は、官の補助金に依存してはいけない。社会に役立つNPOの公益活動を支援するためには、国民の税金の一部が、政府に経由することなく、寄付に回るように寄付税制の大幅な見直しが必要なのである。

つまり、官中心から民間中心の「新しい公共」ルートを拡大するよう、寄付税制を再設計し、市民セクターにより多くの民間資金を還流させることができれば、「古い公共」を縮小し、「新しい公共」を拡大させることにつながる。

NPOに理解がある民主党は、国が税金を集めて分配する割合を減らし、個人の寄付を拡充する税金の民営化((補助金から寄付金への転換))を推進する政策を掲げている。

鳩山政権は、NPOに政府や独立行政法人などに代わる役割を期待しており、政府税制調査会が4月を目処に、NPOに対する寄付控除の拡大を検討することになった。当然の流れと言える。