無縁社会と暴走する世間

家族や地域、会社などの「縁」をことごとく失って孤立し、人知れずに「無縁死(孤独死)」する人たちが増えている。今、個々の人がばらばらになった荒涼とした風景が日本社会を覆っている。

日本社会を形成してきたさまざまな「絆」が断絶し、深刻な「無縁社会」に突入しているという衝撃(NHK番組)が、ネット社会で大きな社会現象として広がった。

これは誰にでも起こりうる問題で、「自分もそうなるのではないか」との不安や恐怖心を抱く人は多く、「無縁社会」という現実が自分も無縁ではないことを考え直すきっかけになった。

特に30-40代の働き盛りの世代からの反響が大きく、自分と社会とのつながりを不安視するため、「無縁死予備軍です」「ネットとのつながりだけでは救われない」「結婚をはじめて考えるようになった」などの書き込みが目立つようになった。

自分の生活さえ良ければいいと思うおひとりさまや若者の中からも、将来の「無縁死」を恐れる人は少なくない。

孤独死は男性に多いが、女性のおひとりさまは地縁、血縁を当てにしない「女縁」をつくるため、孤独死は少ない。老後のおひとりさまを支えてくれるのは、「ユル友(ユルくつながっている)ネットワーク」だという。

他方で、「無縁社会」の広がりに伴い、将来の「無縁死」を恐れる多くの人を対象に死後の準備をする新たな無縁ビジネスが生まれている。

またシェアハウスで共同生活を営む擬似家族的な新しいコミュニティを創りだす試みも始まっている。

無縁社会」は、日本独自の問題である。キリスト教の強い欧米では、地域の教会によるコミュニティ形成があり、徹底的にフォローしてくれるため、高齢者の孤独死が少ないという。

西欧では個人を基盤とした「社会」があるが、日本には、「世間」という概念がある。日本人は、「世間」という人と人の絆で支えられている。「世間」の中の「縁」で生きているから、さまざまな人生が展開される。

しかし終身雇用がなくなり失業すれば、「世間」から無縁にされた状態になる。「無縁社会」は、「世間」からつまはじきにされるところから起きるともいえる。

また「世間」が個人を支配・拘束することから、現実逃避をしたり、距離を置いて暮らす人々が急増してもおかしくない。

バブル崩壊以後長く続く経済不安で、「世間」のネガティブな側面が暴走し、個人の自律を認めない権力意識や抑圧感ばかりが目立つようになってきた。

「世間」は排他的で差別的であるため、いじめの醜さの原因になっている。日本人に多い自殺も、決して個人の「心が弱い」からではなく、排他的な「世間」に問題がある。

「世間」の構造を打ち破って、社会全体で「個人を基盤とした社会」をつくり直さないかぎり、「無縁社会」をつなぎとめる「絆」を探すことはできない。