マネーの哲学:金融危機後、変わるお金の流れ

お金は、本来、モノや労働など互いに必要とするものを交換する手段として使われていた。

だがお金は、財産や資産の機能を持っているため、溜め込まれと流通しないお金になってしまう。

またお金には、金融や株式市場を通じてやりとりされる資本機能も与えられているため、お金そのものが、マネーゲームを介してお金を手に入れるための道具にもなっている。

いくらでも印刷出来る紙幣、さらにコンピュータ上を飛び交う数字に変容した電子マネーが、実体のないままに、世界中を駆け巡っている。

名作「モモ」で知られる童話作家エンデは、お金自身が商品になってしまうのはおかしいことを指摘し、「生活のためのお金を、商品化したお金から守れ」と警告をした。

だがエンデの予言どおり、リーマンショックによる世界金融危機で、公益性の高いはずの金融機関が実体経済にお金を回さずに利益一辺倒の投機的な金融を行い、自ら金融仲介機能を破壊してしまった。

ヘッジファンドにとっては、規制格差、為替格差、価格差、税率格差、貧富の格差、情報の格差など世界に存在するありとあらゆる「格差」が、利益の源泉になっている。

国と国を隔てる「経済的格差」があるところに、その間隙をついてマネーの利益チャンスは無限に広がっていく。いわば格差を生む構造が、マネーの資本機能を暴走させ、人々の生活や生産の場を混乱させている。ヘッジファンドにとって一国の経済がどうなろうと知ったことではないである。ギリシャの債務問題にも同様の構図が透けており、一国の経済を材料にして大きく稼ごうとしている。

金融危機後、投資に明け暮れた国々は、企業も政府も膨大な負債を抱えており、成長は望めない。巨額の利益が生まれれば、一部の企業が手にするが、巨額の損失が生じれば、国民全体で被ることになる。こうした公正さを欠くシステムは、もはや容認されない。

その中で、もう一つの金融のかたちとして「社会的金融」に注目が高まっている。

「社会的金融」は、金銭的な利益だけではなくて 社会的な達成目標を持ち、人間や環境を重視する金融である。いわば奪い合う経済から支えあう経済である。

特にヨーロッパでは、イタリアの倫理銀行、オランダのトリオドス銀行、フランスのNEF、ドイツのGLS、スウェーデンのエコバンケンなど、各国で「社会的金融」の展開がみられる。

他の巨大銀行が金融危機で巨額損失を出したのに、「社会的金融」を旗印にするトリオドス銀行やイタリアの倫理銀行は無傷であった。

巨大な銀行が株式市場に投資して、高配当を得ようとしている実態が明らかにされたことに対して、ヨーロッパの人々は、これを止めるべきだと考えるようになった。そして自分の子供たちのためには、こんな社会にはしたくないと考え、一般の金融機関から貯金を引き出し、倫理銀行に預け始めた。低金利でも急激に貯金が増えて、今では最も持続可能な銀行とも言われている。

「社会的金融」だけでなく、地域通貨NGO/NPO、協同組合、フェアトレードマイクロクレジット、市民金融と呼ばれるNPOバンクやコミュニティビジネス、エコファンド、社会責任投資(SRI)などがつくる「小さな経済」が、「連帯経済」と呼ばれている。

市場原理にもとづく利益最優先の経済の仕組みに対して、「連帯経済」とは、社会的な持続可能性を支える経済でもある。持続可能性の観点から、必要だと考えられるところにお金の流れをつくろうとする積極的な金融行動である。

政府は、一般の金融機関よりも、倫理銀行のように、これまでのやり方とは異なるオルターナティブな銀行を後押しすべきである。

金融機関に返済猶予を促すモラトリアム法では、根本的解決にはならない。むしろ、社会目的にあったビジネスに投融資すれば、税控除が得られる政策的インセンティブが必要である。

預金が持続可能性に結びつくことを考えれば、我々一人ひとりが金融機関を変えるという意識を持って行動することが重要である。こうした金融行動が経済の流れを変えるのに有効である。