国会議員自らを仕分けせよ

事業仕分けで最優先にやることは、特権的待遇を受ける国会議員の削減である。

厳しい経済情勢下で議員自らが身を切る姿勢を示さなければ、国民の理解を得られず、財政再建は実現しない。

国会議員の維持費用は巨額で、世界でも最高水準にある。衆院議員一人当たりの歳費・期末手当、立法事務費、文書通信交通滞在費、公設秘書給与の総額は年間約7000万円。政党助成金などを合わせると、国会議員全てにかかる費用は約800~1000億円と言われている。不透明な使われ方をしている歳費や政党助成金に仕分けのメスを入れるべきで、歳費などは日割り支給にすべきだ。

さらに議員定数を削減する必要がある。国民の声を国政に反映しようにも、それが出来るのは、多額の献金をする特定支持団体や、コネを持った一部の人々に限られているという現実。国民の民意によって政治を変えることができない無力感、政治離れが、多くの国民や若者の間に広がっている。

政党なる組織が国民の代表者である議員の行動を管理しており、国会の形骸化が進んでいるため、議員など不要である。政党が作成するマニフェストに、人気投票すればいい。議員が政党の操り人形になっている以上、議員定数を削減すべきだ。何のために議員が地域単位で選出されるのかが全く意味がない。

参議院は、「衆議院化」により、本来期待されるチェック機能を果たし得ず、「衆議院カーボンコピー」と揶揄されている。制度的に重複の多い二つの議会で審議を行なうため、政治決定に時間を要し、経済的にも時間的にも国民のコスト負担が大きい。

衆議院参議院に同等の権限を与えているから、ねじれ現象による「混乱」が生じる。衆議院参議院での与野党勢力逆転で「ねじれ国会」になると、政権は不安定となり、短命化せざるを得ない。政治は今まで以上に、混迷状態になり、法案は必ずしも成立するとは限らない。

政策より政局を好む小沢前幹事長は、国民の約8割から退陣を突きつけられているにもかかわらず、菅直人首相の失敗に乗じて「数は力」とばかりに消費税政局で出番をうかがっている。

政治をせずに政局ばかりにうつつを抜かし、国民不在の薄汚い政局運営を優先する政治家など要らない。まっとうな政治の議論をせずに、政局ばかりに走る見識のない国会議員に振り回され続ければ、日本の政治は永遠に迷走を続けるだけである。

他の主要国では日本の「ねじれ国会」のような状況はほとんど生じない。上院と下院の位置づけが日本と全く違うため、上院と下院でその存在意義や権能が全く違っているからだ。参議院は、他の主要国と比べても権限が強すぎる。

参議院は政党化され、党利党略根性を丸出しになっている。二大政党制のもとでは、参議院は「ねじれ国会」を日常化させるからである。

政党化された参議院は、廃止するか権限を大幅に弱めるなどの根本的な改革が必要である。二院制は「ねじれ」を引き起こすとして、自民党みんなの党などは、参議院不要論として一院制の創設を訴えるようになった。

しかし二院制から一院制に再編成すると、一院制のチェック機能が失われる結果、議会が暴走する可能性がある。参議院が不要なのではなく、参議院の「衆議院化」こそが問題なのである。

二院制を維持するのであれば、参議院の政党制を一切排除すべきで、参議院権限を大幅に縮小して、選挙制度を改革して独自性を打ち出す必要がある。

税金の使途について不正や不当を発見したら会計検査院に対して「監査請求」できるように、会計検査院参議院の管轄下に置くべきである。 予算よりも決算に力を入れて政府を監視する行政監視制度いわゆるオンブズマン制度の役割分担(権限)を明確にすべきである。

二大政党制はもう古い。国民の多様な意見を反映させるには、比例代表制しかない。二大政党制の弊害を無くすためにも、政策コンペを政党以外に官僚や大学、NGO/NPO、民間のシンクタンクなどの幅広い主体から募集し、複数の政策選択肢から国民の要求実現を目指すのが、筋であろう。

政策立案能力も見識もない国会議員を増やすより、政策選択肢の立案を考える議会政策調査スタッフを飛躍的に増大させた方が、低コストで効果的である。