政府のリスク管理は穴だらけ

尖閣ビデオのネット流出は、政府のずさんな危機管理を暴露し、ネット社会の新たな現実を突きつけた。ネット社会では、「国の機密情報」と「国民が求める知る権利」との境界線がぼやけてしまったからだ。

情報の透明性や説明責任が問われる時代に、「外交上の機密情報は、重要だから出せない」と言っても、国民は納得できない。情報をどこまで出せば、国民が納得するか、それを判断する「情報ガバナンス」能力が政府にはないことが本質的な問題だ。

政府が中国漁船船長の逮捕段階で、ビデオ映像を公開していれば、問題はこれほどこじれなかった。対応を誤った菅内閣の責任は免れない。44分のビデオ映像を見ても、「流出したことで、国益が極めて損なわれた」と保護に値する内容ではなかった。

日中関係の悪化を懸念して中国人船長を超法規的措置で釈放したなら、その時点で、きちんと情報を公開して国民に説明すべきだった。国民に知らされた情報は少なく、説明責任を全く果たしていない政権に、多くの国民はイラ立ちを感じている。中国人船長を釈放する一方で、ビデオ流出させた海上保安官を逮捕するのは、妥当ではないという議論が当然出てくる。ビデオ映像流出事件は、中国漁船衝突事件とパッケージで考えるべきである。だから批判の矛先が、中国よりも映像を公開してこなかった政府に向いてくる。

海上保安官は、このビデオ映像は国民には見る権利があり、一部の国会議員を対象にした限定公開だったため、このままで国民が映像を見る機会を失ってしまうとし、独断でやったと動機を語っている。ビデオ映像を投稿した海上保安官の行為には、日中両政府への抗議の意味が込められていたのであろう。

海上保安庁は当初、流出映像は石垣島海保と那覇地検しかないとした説明していたが、実際には海保庁内ネットワークで衝突直後から、職員なら誰でも自由に見られる状態にあり、機密というほどでなく、「秘密性」の認識がなかった。むしろ海保内でのずさんな保管実態の方が問題である。

サイバー犯罪として捜査している検察当局でも、「秘密性」の評価が分かれており、仮に起訴しても公判で「秘密性」を巡って問題になるであろう。

今回のビデオ流出は、新聞やテレビではなく、動画サイトYouTubeという新しいメディアを選んだ。動画投稿サイトの広がりで、内部告発のハードルが下がってきた。ネットを使った内部告発や情報流出は、即効性があるため、今後もいっそう増えていくだろう。

ネット社会になると、「情報への飢餓感」が加速するため、すべてを公開しろという声は当然出てくる。だから国民が納得できる公式な情報をある程度出さないといけない。

ネットによる内部告発サイトとして、元天才ハッカーでオーストラリア人のジュリアン・アサンジ氏が創設した「ウィキリークスWikileaks)」が有名だ。7月にアフガン戦争の秘密文書「アフガン戦争日記」を公開したことで、一躍知名度が高まった。

全て寄付金だけで運営している「ウィキリークス」は、既成のメディアが伝えていない政府や大手企業の機密を次々と暴露している。「ウィキリークス創始者のアサンジ氏は、政府の不正を暴いて、より良い社会を築きたいとしている。

この内部告発サイトの目的は、世界中の政府や、企業、宗教に関わる機密情報を収集し、公開することにある。情報に飢えているハッカーやジャーナリスト、暗号の専門家など世界で約1200人が協力しているという。投稿者の匿名性を維持し、機密情報から投稿者が特定されないようにする努力がなされている。

内部告発者は、機密文書を内部告発サイトに投稿し、その投稿内容は、すべて暗号化され、世界中のいくつかのサーバーを経て情報保護法制の整ったスウェーデンのホストサーバーに厳重に管理される(ストックホルムの核シェルターを改造したところで)。これで、内部告発者の身元は判らず、ハッカーによる暗号解読後、ジャーナリストによる裏付け取材による検証を経て、本物と確認されたものが、ホームページに掲載されるという。

アサンジ氏は、米軍の機密文書を暴露したことで、米政府からスパイ容疑で告発されている。「ウィキリークス」も、人々の知る権利に応える“正義のメディア”なのか、それとも国家の安全保障を脅かす“敵”なのか、波紋を広げている。

こうした内部告発や情報流出は、使い方によっては、社会の毒にも薬になる。「情報への飢餓感」が強いネット社会では、十分な情報を伝えていない既存マスメディアに対する不満の反動がある。

ビデオの非公開という政府の判断の是非も含め、民主主義の土台となる政府の情報公開はどうあるべきか、絶えざる議論が必要だ。

菅内閣が「熟議の民主主義」を掲げるのであれば、国民が知りたい政府の情報をできる限り公開すべきである。犯人探しで思考停止してはならない。